CHOURS ”かべ”創立百周年記念誌
昭和49年発行 
可部小の本 歴史を振り返る


近年復元された”かよこバス”ってハイカラ青年が・・・。

自動車が広島に初めて登場したのは、明治34年、オールズモビル4人乗りであった。
このときは文字通りの超高級品で”見た”というだけで自慢話のタネ。

したがって実用化するなど想像もされず、庶民たちにとっては、はるかに遠く無縁のものであったそうです。

その頃、広島と可部の間の交通の主役は、太田川舟と馬車で、陸上では普通の旅行者は徒歩、病人や女子ども、急用や商用で往来するものが客馬車や人力車を利用。諸荷物は川舟、荷馬車、町便と呼ばれる便利屋が大八車を引いていました。

明治34年その頃広島市内に2人の青年が登場し、エンジンについて研究をはじめました。

一人は、事業欲に燃える貸座敷業を営む瀬川貞吉。

もう一人は、自転車時代を目ざとくとらえ、貸自転車業を営む鳥飼繁三郎。鳥飼は、早くからガソリンエンジンに興味をもち、頭を突っ込んでいました。

さらに鳥飼のもとへ出入りしていた金庫業の杉本岩吉が加わり、
ハイカラ青年3人のコンビが出来上がり。(いずれも30歳前の青年)

この3人の発想で、明治36年1月、
可部−横川間に客を乗せて走る自動車が出現となりました。12人乗りで14、5キロメートルの距離を一日4往復し、運賃大人一人25銭(客馬車は15銭)。これがわが国バスの最初とされている。